鎖骨骨折入院日記 
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2009年1月13日 バイクの転倒事故によって鎖骨骨折をして
1月16日〜22日まで金具による鎖骨骨折箇所固定のための手術の入院
翌2010年3月3日〜6日まで金具抜去のための抜釘手術のために入院をしました。
2009年1月16日(金)
入院一日目
家族にセレナに乗せてもらって病院まで行きました。

午前九時までに入院受け付け窓口に診察券、入院証書を提出し入院手続きをしたら
整形外科受付に予約票、手術承諾書、入院時問診票などを提出し呼ばれるまで待ちます。
他に用意するものはT字帯(手術に着用する下着) バスタオル(5枚以上) タオル(3〜5枚) 前開きのパジャマ(着替えとして2〜3枚)
シャンプー、リンス、ボディーソープ、歯ブラシセットなど


情けない話ですが家族に用意、荷物運びから入院手続きまでやって貰いました。

身長、体重を計り入院に関しての説明などを受け病室まで案内されます。
整形外科では他に5人ほど入院する人がいました。

この日は他に診察などは無くこの痛みのまま狭いベッドにいるのかと思うと
少しいやになりました。

検温と血圧を測ったら後はやる事がありません。

はじめはベッドに座っていましたが痛みがひどくなり
ベッドに横になっているうちに寝てしまいました。

5人部屋で(他に2人だけしか入っていません)一番廊下側のベッドでドアは開け放たれているので
廊下からは丸見えです。


しばらくうとうとしていると
廊下を女子学生の様に陽気にしゃべりながら通る声で目が覚めました。
母の入院している病院とは違い看護師はすべて女性ですし
整形外科という事もあるのか入院患者もスポーツをやる若い女性の方が多いようです。

これはかなり落ち着かない場所だと思いました。

12時に昼食が出ました。

病院の食事はおいしくないと聞いていたのであまり期待していなかったのですが
この日の昼食はカレーうどん、サツマイモのオレンジ煮などで左手でうどんをうまく食べるのはかなり時間がかかりました。



この日は入院の手続きをしただけで前日の日曜日まで特別にやる事は無いという事なので
夕方に外泊許可を貰って家へ帰りました。

翌土曜日は家で痛みの無いようにゆっくり過ごし再び病院へ戻ったのは日曜日の朝でした。
2009年1月18日(日) 天気 曇り
入院3日目
何もやっていないのに時間の経つのは早いもので
もう病院へ戻る朝になってしまいました。

起きている時にはなるべく痛みが無いようにそっと体を動かすようにしていますが
夜寝ている時はそうもいきません。
真上を向いても痛みがあり眠れませんし右肩を下にするのはまったく無理です。

結局やや左を向くのが一番痛みが少ないのですがそのままでは腰も痛くなり、
たまに上を向くために寝返りをうつわけですが
痛くてその状態では寝返りをする事が出来ないのでその度に上半身を起こす事になり
結局まどろむ程度でぐっすりと眠る事が出来ませんでした。

入院時と同じく家族に送ってもらい午前9時前に病院に到着。

病室に入り前開きのパジャマに時間をかけてゆっくり着替えます。
着換える時に財布を家に忘れた事に気が付きました。

とりあえず今日はあまりやる事が無いみたいです。

暫くすると手術担当の看護婦さんが明日の手術の説明をしに来て
午後1時から手術が行われる事がわかりました。
手術の予定時間は1時間から1時間半くらいだという事でした。

手術後はこの病室には戻れずリカバリールーム(この病院ではICUの事をそういうみたいです)という部屋に
短くても翌朝まで入れられるという事がわかりました。
熱などが出たりするとしばらくはリカバリールームにいなくてはならないみたいです。
それほど全身麻酔は脳にリスクが伴うらしいです。

午後2時過ぎにシャワーを浴びる様に言われ片手が使えないため介護をしてもらいながらという事でしたが
脱衣所で上半身だけ脱いだところで恥ずかしくなり断りました。
背中と動く方の左腕は洗えませんが昨日の夜に家族にその部分は洗ってもらったのでいいでしょう。
ただしこの後の恥ずかしい出来事の後だったら洗って貰ったかも知れません。


午後3時ころ、絆創膏のアレルギーを見るために脇の下に近い左腕の内側に
番号を付けた6mm四方程度の絆創膏を14種類貼りました。

絆創膏を貼って貰っている時に友人が見舞いに来てくれて
絆創膏を貼り終わった後、1階のロビーで話をしました。

そう、彼は3年前にやはりバイクで転倒して鎖骨を骨折、手術をしていました。
彼の場合は他に肩甲骨とろっ骨を数本骨折していたので
手術後の抜糸した後は石膏のギプスで固められ、
またその状態で暑い時期の6月から7月半ばまで過ごしたのでかなり大変だったと話していました。

また手術前に浣腸された事、手術後に尿道に管が挿入されていた事などを話し
すでにその事に関して多少は聞いてはいましたがやはりそうなるのかと思いました。
また手術後、麻酔から覚め、時間が経つごとに耐えられない痛みが襲って来て
座薬による痛み止めをして貰ったという事です。

彼に別れを告げ病室に戻ると先程の絆創膏の看護婦さんが来て
「今日お通じは出ましたか?」
と聞いてきたので、今日はまだだけど夜くらいまでには出そうだと答えると、
「一応出ないようだと浣腸をしないとダメですから」みたいな事を言っていたので
軽く返事をしました。

すると10分もしないうちに手に蛇腹の先にチューブのついた浣腸らしきものを持って
「さあ、じゃあこれからトイレへいってみましょう」と言ってきました。
心の中でかなり動揺していましたが、
先程の友人の話では「恥ずかしいから自分でやったよ」と言っていたので
それで済むだろうと思っていました。

女性トイレの洋式の個室に入りお尻を出すように言われた時に
「自分でやります」と言ったら
「これは難しいから駄目です」
「いや、でも、、、」
「、、、、、」
看護婦さんの年の頃は30歳くらい、わりと綺麗な感じの人で
これほど恥ずかしい事はありませんでした。



午後6時、夕食を食べました。
段々左手での箸の使い方にも慣れてきました。
これであさっての朝までは食べることが出来なくなります。


午後7時前に家族が面会に来ました。
頼んでおいた財布を持ってくるのを忘れたとの事、
2千円カミさんから借りました。

病院のエントランスまで2人を送り病室の方へ歩き出した時、娘が外のガラスの扉の向こうから一生懸命に手を振っているのが見えました
次に娘を見る時は手術も無事終わってからだろうなと思いながら手を振り、2人を見送りました。

9時に消灯、翌日の手術の事と痛みでやはり眠る事が出来ません。
午前3時を過ぎてからやっとまどろむことが出来ました。
2009年1月19日(月)
入院4日目 いよいよ手術
今日は朝から食べ物は食べられません。(実際は昨夜0時過ぎから)
飲み物は水かお茶ならば午前11時までに(ただし200cc程度まで)なら大丈夫だという事で
昨日買ってきて貰った麦茶を少し飲みました。

午前8時過ぎ、検温、血圧を測定をした際、9時までに手術着に着換える様に言われて手術着に着替えました。
この時、下着はまだ普通のパンツで良い事を聞きました。
この手術着というのはきちんとしていてもすぐにはだけて来てT字帯(ふんどしを短くしたようなもの)だとかなりだらしない事になりそうです。

午前9時過ぎに担当の執刀医、麻酔医、手術室管理医(これは女性でした)などからこれから行う手術の術式について話を聞きます。
麻酔医の先生は首を後ろにそらせてのどの通り具合などを見られました。
これは手術後に知りましたが麻酔中は呼吸が停止もしくは微弱にしかできないので人工呼吸器装着の挿管のためだそうです。

あとは手術前に肩に痛い注射をするのでこれだけ我慢すれば後は全身麻酔なので特別な事は無いと言われました。

手術の執刀は救急車で運ばれた日のはじめに診察してくれた先生で、容姿や外観で判断するのもなにかと思いますが
俳優の江口洋介に似た感じの人で救命のドラマのイメージが重なり単純にこれだけでかなり安心して手術を受けられました。


10時から生まれて初めての点滴が始まりました。
ラクテック注という点滴で後で調べたら体液を補うものみたいです。
このあと翌昼までこの点滴を受けることになりました。
※翌年の抜釘の際に確認したら深夜の早い時間で抗生剤、ブドウ糖など数種類切り替わっていましたが
この時の手術時は翌朝にやっと抗生剤に替わっているみたいです。手術時間というか麻酔の深さによっても変わるのかもしれません。


11時半ごろ、先ほど言われた肩の痛い注射を看護婦さんにしてもらいます。
これは胃のレントゲンを受ける時のものと同じ感じでそれよりもやや量が多いですが我慢出来ない痛さではありません。
この時の説明は麻酔の利きを良くするためのものと聞きましたが後で調べてみると
精神を落ち着かせたり唾液の分泌を抑制するためのものらしいです。

12時半の少し前に付き添いの家族がやってきたので下着のパンツをT字帯に履き替える手伝いをしてもらいます。
着替え終えて病室に戻った時、来れない母の代わりに来てくれた叔母が到着しました。

準備は整いましたが、手術室の片付けに時間が掛かっていて手術が少し遅れるという事を
看護婦さんが12時40分頃伝えに来ました。

12時50分ごろ、手術室入室の時間が1時15分に決まりました。


1時10分、看護婦さんが二人来て血栓予防のサポータみたいなストッキングを足にはかせられます。
このままベッドに乗せられて手術室まで運ぶというので、
恥ずかしいから自分で歩いて行くと言うと規則なのでそれは出来ないと断られました。

1時15分、ベッドに横たわったまま手術室に入室、入口で家族、叔母と別れと励ましの言葉を受けます。

扉を入ったところでベッドからストレッチャーへ移動、ここで看護婦さんから手術室管理の看護婦さんにバトンタッチされます。

メガネを外されているのでよく見えませんが全体がタイル張りの明るい通路をかなりの長い距離を移動しているみたいです。
かなりの部屋数の前を通過したと覚えていますが今から思い出すとSF映画のセットを見ていたみたいな感じで現実感がいま一つ湧いてきません。
ただ分かっている事は手術室の管理内では病院の建物(けっして新しいとは言えないので)の外観とは全く別の最新の設備のSFのような内部になっているという事です。


リラックスさせるためかどこからか気持ちの良い音楽が途切れることなく流れており(例えるならば天国のお花畑で聞くような)
ほとんど不安や緊張はありませんでした。
おそらく肩に注射した薬の効果だと思いますが、、、、

そしてこのストレッチャーか手術台のどちらか忘れましたが無圧布団の様なやわらかい突起がついていて
長時間でもゆったりと眠る事が出来そうです。

翌年の手術時に手術台の方だと確認しましたが手術室の場所が違ったので真実は分かりません。


手術台の左側に到着し高さを揃えたあと自分でゆっくりと手術台へ移動しゆっくりと仰向けに寝ます。
位置が悪いらしく、もう少し上へと促され上へ移動します。
今度は大丈夫だったみたいで手術台の下から左腕をのせる台が自動で左側に出てきて
そこに点滴をしている左腕をのせられます。

左腕が伸びたところで左腕を軽くベルトで固定され、今度は右側から右腕を乗せる台が伸びて出てきます。

右腕も乗せるのかと思ったら顔の上にアームでつながった酸素マスクが自動で下りてきました。

このマスクは透明で周りは空気の詰まったビニールの浮き輪の様なものが付いていて口の周りにぴったりと密着するものではなく、またわざと隙間を開けているのかも知れません。

マスクが目の前で止まると麻酔医の先生から
「点滴に眠くなる薬を入れるのでゆっくり呼吸をしてください。」
「点滴を射しているところがピリッとするかも知れませんがすぐに眠くなるので大丈夫です。
と言われました。

”経験した人から聞いていた話だと数秒で眠ってしまうらしいけど、どうしよう眠くならないな”と思って大きく2回目の呼吸をした時
何かクロロホルムの様な匂いがすると感じた瞬間、周りの景色がまわる様な感じで意識が薄らいでいきました。

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ぐっすり眠った時の朝の様に自分が手術を受けていた事など忘れて目が覚めました。
ここしばらくこんなにぐっすりと眠った事は無いというくらい熟睡して目覚めた気持ちの良い朝の様な感じでした。

「ゆっくりと深呼吸してください」と言われてやっと手術だったと思い出した感じでしたが
まだ喉に挿管してあったので咳込むようになってしまいました。
すぐにチューブが抜かれて別に苦しくもなく普通に呼吸が出来ました。

たぶんこの時はまだ意識が朦朧としていていつ手術台からベッドに移されたのかは良く覚えていませんが
手術室から病室の様な所へ移動したあたりからよく覚えています。
後から教えて貰ったのですが移る予定のリカバリールームが空いておらずナースステーション隣りの個室へ変更になったそうです。

その間おしっこがしたくて膀胱がパンパンになっている感覚に襲われ部屋に着いたら
すぐに「トイレに行かせて欲しい」と言うと、
麻酔の後遺症が出るかもしれないので朝までは絶対に安静でベッドの上で起き上がる事も禁止だと言われました。
それでも無理を言って尿管に挿入されているカテーテルだけは抜いてもらいました。
その後は朝まで5〜6回ほどシビンのお世話になりましたが、、

次にひざから足先まですっぽりつつんでエアーで動作するマッサージ器を装着してもらいました。(血栓の予防らしいです)
このマッサージ器は足先から膝に向かってゆっくりとかなりの力で締め付けてきて膝まで来るとエアーが抜けてゆるみ、
しばらくするまた足先から始まるという動作を翌朝まで繰り返していました。


マッサージ器の装着が終わると外で待っていた家族と叔母が部屋に入って来ました。

この時、リカバリールームではなくてナースステーション隣りの個室にいること
手術にかなり時間がかかり時刻はもう午後4時近くだという事を知らされました。
家族達はあまりにも時間が掛かるので右と左を間違えて手術をしたんじゃないかなどと手術中に話していたそうです。

少し前に執刀した先生からボルトというかビスみたいな小さなネジ7本とプレートで骨を固定し
無事終了したという説明を受けたと聞かされました。(予定よりネジ2本多かったです)
後日さらにもう1本多い8本だった事が判明しました。
※後の4月の検診の時のレントゲン写真です。


まだ酸素マスクは外してもらえず、ベッドサイドモニターもつないだままです。
母の病院でも良く見ていたサチュレーション(SpO2)の数値を見ながら酸素の量を減らしていくそうです。
数値は97だったのを覚えています。

たぶん午後6時ごろにやっと酸素マスクが外れた頃から痛みが激しくなってきました。
看護婦さんに痛みを訴えると明日の朝食以降にならないと飲む痛み止めは出せないけど
座薬の痛み止めなら大丈夫だと言われました。
座薬はかなり苦手でベッドでの身体を起こすことさえ禁止のこの状態で
もし便意が出るとかなり面倒な事になるので仕方がなく我慢しました。

15分おきに自動で血圧を測定する腕を締め付けられる感覚で時間の過ぎるのがわかりますが
痛みがますますひどくなってきてこの15分がかなり長く感じられてきました。

夜中でも頻繁に看護婦さんが来てくれるのでペットボトルの水を取ってくれたりしてくれますが
この厳しい痛みだけは何ともならず、やっと夜が明ける頃、とうとう熱が出始めてしまいました。
2009年1月20日(火)
入院5日目 一般病棟へ
朝に測定した熱は8度を超えており看護婦さんが氷枕と保冷剤3個持って来て
保冷剤は腋の下と足の付け根に当てる様に言われました。

まだ手術着とT字帯のままで、はだけるなんてものじゃなく右腕の三角巾以外はどこにあるのか分からない状態で
布団をめくるとすっぽんぽんの状態ですが恥ずかしいなどという余裕はありませんでした。

7時半までその状態でしたが、7時半に点滴を抗生剤に変える前に手術着からパジャマへ手伝って貰いながら着替えました。
さすがにパンツをはくのを手伝って貰った時は情けなく思いました。

8時に朝食が出てきました。
全粥でとても食べる気力はありませんでしたが食べないと痛み止めは飲めないと言われたので
ゆっくり3分の1くらいを食べました。

その後痛み止めを飲み、しばらくすると嘘の様に熱が下がり痛みが治まってきました。

トイレも歩いて行ける様に(と言っても個室だったのでベッドのすぐ隣ですが)なり
回診のある11時頃には骨折してから一番痛みの無い調子の良い状態になりました。

回診は今回初めておめにかかる院長の回診でしたが傷口の消毒などをしてもらいました。
何故か周りに一緒にいる看護婦さんの手術跡を見る眼が怖いものを見るように見えました。
自分で傷口をこの時はまだみる事が出来なかったのでよほど血でもこびりついているのかと思いましたけど、、、




元気になったので個室の窓から記念撮影

回診後にやっと元の一般病棟の大部屋へ戻りました。
体調は良いままで、昼食までの時間を持て余すほどで
一階の売店まで昨日発売の雑誌を買いに行ったりしました。

昼食後はもう家に帰る事ばかりを考えて看護婦さんに外泊を打診してみました。
看護婦さんはとんでもないという顔をしましたが
一番最初の診察の時に主治医となった先生に母の事を話してあったので
手術の翌日の火曜日には外泊も可能という事だったと話すと
執刀した主治医の先生と相談してからという事になりました。

午後、最後の点滴を受けている時に先生が来て傷に当てているガーゼを外出用の透明な幅広テープに交換してもらい
外泊で家に帰ることが可能になりました。

午後5時過ぎに家族が迎えにきて家まで帰ってきました。

母の状態は安定していましたが病院よりも家でゆっくりしたいので少しわがままを言ってしまったようですが
病院よりも家の方が落ち着いて寝れるという事は確かです。

そしてこの日の夜は痛みも無くこんなにぐっすりゆっくり眠れたのは手術中を除いて骨折後初めてでした。
2009年1月21日(水)
入院6日目 外泊中 天気 晴れ
昨日の朝からは想像できないほどゆっくりと家で過ごしています。

暇なので全身麻酔の症例などをネットで検索してみると
本人は知らないだけでこれは大変な事だったのだと改めて知りました。
中には手術前に見なくてよかったと思われるものもありました。
仮死状態というものに最も近いものになるみたいです。


麻酔中は自発呼吸が停止するという事や麻酔のガスの種類によっては
麻酔中に悪夢を見やすいガスもあるという事で
手術中は何も分からずどちらかというと気持ちよく眠れたのは本当に良かったと思いました。
ちなみにその悪夢を見やすいというガスは麻酔をコントロールしやすいので一人で麻酔と手術を行う場合に
使う病院もあるという事です。

ほかは人工呼吸器装着のための挿管ですがこれは結構厳しいと思いました。
あんな鎌みたいなものを喉の奥深くに、、、思わず自分の喉元をさすってみたりしてしまいました。

YouTubeでCGの説明映像が見つかりましたがこれも手術前に見なくて良かったかもと思いました。
入れ歯や差し歯の有無や、ぐらぐらした歯が無いか聞かれた理由がわかりました。
自分の場合手術後にのどや口の中に全く痛みや違和感が無いのできっと上手にやってくれたのだと思います。
2009年1月22日(木) 天気 小雨 
退院 
昨夜遅くに37度7分の熱が出ましたが朝起きると下がっていました。
やはりまだ完全な調子ではないようです。

家族に三たび送ってもらって朝8時半に病院へ戻りました。
午前中の回診の時に問題が無ければ今日退院出来るはずです。
それまではゆっくり過ごそうなどと考えていたら
9時過ぎに担当の先生が病室までやってきて傷の様子を診てくれて
順調に回復しているという事で今日予定通り退院の許可を貰えました。

次は2月3日の抜糸の時まで病院に来なくて大丈夫だそうです。

気になるのは傷の表面に貼っている薄い透明なテープですが
これは2月3日まで貼りっ放しにするそうです。
かゆくならないか少し心配ですが、、

ただし抜糸までは腕を上げないように、動かすのは三角巾の中だけという
制限が付きました。

その後、診察券と2月3日の予約カードが手元に届き退院は可能になりましたが
家族の迎えが夕方にならなければ来られないので
ベッドの上でのんびり過ごすしかありません。

10時ごろ、外泊中に病院までお見舞いに来て頂いた人から
預かっていたと看護婦さんがお見舞いと本を持って来ました。
どうもありがとうございました。


途中、院長の回診や昼食、昼食後に眠くなり少し昼寝、、
などをしながら午後3時ごろまでに最後まで読み終えました。

読み終えると特別にやる事もなくiPodで音楽を聞きながら昼寝などと
働いている人には申し訳ない時間の過ごし方です。

今日みたいな雨の日で身体が痛くなければ病院という場所は
最高にゆっくりと静かに過ごせる場所だとわかりました。

迎えの家族が仕事の関係で遅くなり午後6時半、無事退院となりました。




2週間後の2月4日に抜糸、仕事にはその翌々日の2月6日に復帰しその後1カ月毎の検診を受けて
翌年の2010年3月、固定に使った金属除去の抜釘手術のために入院する事になります。

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